CEROの必要性って


日本ではだいぶ浸透してきたであろう倫理審査機構『CERO
私個人としては、ゾーニング(線引きのこと)してあるなら、表現のゾーニングもきちっとしろという感じ
記憶に新しい『BIOHAZARD 5』、このゲームは頭部欠損がありながらD区分
私が絶賛プレイ中の『Fallout 3』、このゲームは人間の欠損なしなのにZ区分
な、わけだ。何故欠損ありながらD区分なのだろうか。
それはBIOHAZARD5は、死体が消えるからだ。

死体が消えるという事でゾーニングがあやふやになってしまう事もある。
たとえばN64の『パーフェクトダーク』というゲーム
本国アメリカではこのゲーム17歳以上推奨なんです。

そのかわり出血の量も増加し、倒した敵も消えずに残る。だからこそゾーニングしてある。

ゾーニングとは本来このような使われ方をすべきだと思う。
現にGOW2でも欠損なしの死体ありでZ区分になっている。
それならば欠損ありの死体なしでD区分でも充分だと思う。

CEROとは日本のゲーム屋を守るために存在するのであって、
ユーザーの事なんか知ったことかという印象が強いと感じる。
だからこそ、私は洋ゲーに走り、英語を学び、日ゲーに愛想が尽きた。